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白山市美川で癒す ほっとなとこ

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白山市美川の見どころ案内

石川県のルーツがある

アンカー 1

美川の古民家「田中家」(紺屋三郎兵衛の末裔)
白山市美川神幸町193番地
令和7年1月29日(水)
美川小学校児童の協力で カフェとしてオープンされます。

田中家(旧竹多家)について

田中家(竹多為治)

戦前「昭和20年以前」は北前船船主から肥料商を営んでいた竹多柳三郎が明治初期に建てた家と伝えられている。その娘の「田中たけ」が平成9年(1997)に亡くなり「たけ」の子の田中正奏氏が管理していた、平成9年田中氏が京都に移り空き家となる。その祖父が為治。

田中家は、江戸期本吉で北前船の豪商と云われた北前船主「紺屋三郎兵衛」を初代とする豪商、銭屋五兵衛と肩を並べ、その娘「とし」を嫁に貰い姻戚関係であった紺屋三郎兵衛を祖先とし、加賀藩の御用銀を度々工面し、家紋の九枚笹を見た前田の殿様から「竹多」姓を賜り、帯刀を許された。

 竹多家は「貞房」(享保年間)を始祖とし、染め物業を営んでいたところから屋号を「紺屋」通称「紺三」として明治迄紺屋三郎兵衛を名乗り、加賀藩の十村役や町年寄りの要職を勤めた名家である。

 為治もその血を受け継ぎ、幅広い教育の振興に心血を注いだ人であった。戦後織物業の事業で成功し、資産を石川県に寄付し(当時の金額で二億円)「財団法人竹多教育文化財団」(現石川県教育文化財団)を設立し、美川小学校児童に読書の大切さを根付かせようと、昭和43年から舞年図書購入費を助成し続け、竹多文庫として今に継がされている。

 

紺屋三郎兵衛

 金石の銭屋五兵衛(幕末の豪商・北前船主)と同じ本吉の豪商でした。五代目の時に北前船の廻船業組合頭となり、七代目の時には持ち船が十八隻あったと伝えられています。1836(天保7)本吉の火災で藤塚神社及び御神輿も焼失、自宅も全焼しましたが、大工「奥谷仁左衛門」に命じ比叡山坂本の日吉神社にある八角形のお神輿を参考に美川仏壇の技術で作り上げ寄進しました、おかえり祭りに使われている豪華な御御輿です。

1860(万延元)年加賀藩へ多額のお金を寄進し、同年の暮れには藩主から町年寄の代表に

任命され、同時に「竹多」の苗字を賜りました。

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おかえり祭り
天下の奇祭 案内

開催日 2025年 未定

時 間 9:30〜12:00

集 合 JR美川駅2F

参加費 1,000円

距 離 約1km

コース 集合場所→おかえり祭→
    おかえり祭りの御旅
​    所→集合場所(解散)

問合せ 美川おかえりの会

 3日前の17:00まで受付

  毎日9:00〜17:00

  ☎076-278-4768

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安産日吉神社
名水めぐり

開催日 2025年 未定

時 間 9:30〜12:00

集 合 JR美川駅2F

参加費 1,000円

距 離 約1km

コース 集合場所→おかえり祭り
    の御旅所→安産日吉神社→
    トミヨ増殖池→安産川
​    →集合場所(解散)

問合せ 美川おかえりの会

 3日前の17:00まで受付

  毎日9:00〜17:00

  ☎076-278-4768

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ふくさげ祭り

​見学 休止中

開催日 未定 休止中

時 間 9:30〜12:00

集 合 JR美川駅2F

参加費 1,500円

距 離 約1km

コース 集合場所→美川商工会→
    徳證寺→大正浪漫館→石

    川ルーツ交流館→おかえ

    り祭りの御旅所→集合場 

    所(解散)

問合せ 美川おかえりの会

 3日前の17:00まで受付

  毎日9:00〜17:00

  ☎076-278-4768

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